現存しない三国志の超有名医師【華佗】の医術

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三国志のお話を本日は書きたいと思います。

三国志では華佗(かだ)という名医がいました。彼の医術が現代に伝わっていれば、現代でもかなりの人を助けられたないかと言われています。その名医は三国時代では最も有名な医師であり、医術は高さは全中国NO1でした。当時の漢方の技術・知識は現在顔負けで、かなりの効果があったといわれています。しかし、華佗の医術は現在までは伝わることなく、消えてなくなってしまうものになっていったのであります。その理由について書いて行きたいと思います。
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華佗とは?
華佗は特に患者の症状から病状を特定し、最適な処方・処置をすることに長けていました。
当時はもちろん聴診器、心電図、MRIなどあるわけもありませんでしたが、華佗は目視・身体に触れることでそれらを見抜くことができたのです。
ある有名なストーリーがあります。
二人の軍人が華佗のもとへやってきたしまた。彼らは高熱を出していて、ふたりとも同じような症状でした。華佗は彼らを見て、それぞれに違う処方箋出しました。一人は発汗剤で、もう一人は下剤を処方したのです。彼らは「おかしいなぁ」と内心思いましたしかし処方箋の効果は抜群!!二人はすぐに良くなりました。華佗にはふたりの細かいな症状の違いをとっくに察知していたのです。一人は表面的な熱で、発汗で解消ができるものであり、もう一人は内部の発熱で、下剤で出してしまわないことには治療は難しいと判断したからです。

華佗の最後
それでは華佗はどのような悲運にあったのでしょうか?
一説によればあの関羽をも敵の毒矢に遭ったところを解毒治療をして、直したとの功績もある彼は、昇進に全く興味がありませんでした。
そんな華佗は最終的には曹操に処刑されてしまいます。処刑された理由としては2つの説があります。t02200146_0276018313504783728

ひとつは、曹操がひどい頭痛で重い病気を患っていて、華佗を召集して、病状を見てもらおうとしました。しかし、華佗は曹操の病状から、病気は完治するのに時間がかかると判断したため、一旦久々に故郷に帰りたいと申し出を出しました。休暇を取っていると、そろそろ帰って来いと勅書が出されました。しかし華佗は帰りたくなく、妻が病気ですぐに帰れないと嘘をつきました。長い間返答のない華佗に対して、曹操は待ちわびて、華佗が本当に妻の病気で都に赴けないのか調査することにしました。そこで、華佗が嘘をついていることが発覚し、処刑を受けることになりました。曹操の軍師や重役の者が華佗を殺しては世界の名医を失うことになると止めましたが、曹操は全く聞き入れず、そのまま殺害しました。その後曹操は、その頭痛が原因で病死することになりました。
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もう一説によると、華佗は曹操の勅書により、診察をしたところ、脳内部の悪性の病気を切開しなければ助からないと診断しました。それに対して曹操は華佗が自分を殺そうとしていると思い込み。華佗を処刑することを命じました。
このように曹操に処刑された直接の理由は諸説ありますが、実は華佗は処刑される前に獄中で自分の医学を書き残した全集大成を本にまとめ上げました。そして、獄中の番をしている兵士にその本を渡し後世に伝えて欲しいと頼みました。しかし、死刑囚の要求を聞き入れて本を受け取ることは厳禁、処罰されることを恐れた兵士は、その本を焼却処分したと言われています。

このようにして、華佗の全集大成である書物は永遠にこの世から去ることになってしまったのです。華佗の漢方知識や医術が現代まで伝わっていれば、もっとたくさんの人を救える薬が今も伝わっていたのではないかとも信じられています。そんな中国史に刻まれる天才名医華佗でした。

 

 

 

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